今日は、昨日からの雨も上がりましたが、正午頃から再び雨が降り大荒れになるとの天気予報で、残念ながら参加者の出足が悪く57名(内スタッフ21名)と今年最少の参加者となりました。
今回は、桜井市の南東部に位置する「外鎌山(とかまやま):標高292m」から「舒明(じょめい)天皇陵」や「石位寺」がある忍坂(おっさか)地区、及び、「倉橋溜池」を経て「磐余稚桜宮(いわれわかさくらのみや)伝承地」等の宮都をめぐりました。
低く垂れ込めた厚い雲に覆われ、又、強い風が吹く中、9時50分頃大和朝倉駅前をスタート、忍坂山又は朝倉富士と呼ばれる「外鎌山」北西の山麓に開発された朝倉台住宅団地内の緩やかな上りの道路や、きれいに整備された上りが続く歩行者専用道を進み、団地を抜けて、すぐの標高152mの登山口へ、急な階段を上り、雑木林や竹藪の中の狭い急坂が続く山道を一歩一歩上り進み、途中に、標高238mの位置に石垣が残る「外鎌城跡」へ、14世紀に南朝の忠臣・玉井西阿(たまいせいあ)が築いた城で、山頂には西阿の墓碑がありました。
更に、息せきながら上り進み、「あと150mファイト」の小さな標識に、頂上まであと少しと元気づけられ、登山口から約20分を要して山頂に到着、頂上からは奈良盆地を一望、眼下の鳥見山の向こうには大和三山や遠く金剛・葛城・二上山等の山々の大パノラマの絶景に疲れを癒され、景色を堪能しながら暫しの休憩を取りました。
山頂を後にして、鬱蒼とした杉や檜林の中を南方面へ下ったり上ったりして、途中、竜谷・忍坂の分岐点へ、ここから西の忍坂方面へ、雨後で濡れた滑りやすい急な下りの坂道を慎重に進み、山頂から約20分で山道を抜け、忍坂の奥の谷に出て視界が開けると、なんと、濃い緑に覆われた上空は雲が切れ青空が広がっていました。
ほぼ平坦な狭い山沿いの道を進み、途中、コースから外れて欽明天皇の皇女である「大伴皇女墓」に向かった後、次に、藤原鎌足の正室である「鏡王女押坂墓」を過ぎて、第34代「舒明天皇陵(段ノ塚古墳)」へ、この古墳は八角形の墳丘で、外鎌山から南に伸びる尾根の先端に築かれていて、綺麗に整備された陵の長い階段を上り参拝し、暫しの休憩の後、天皇陵から西へ進む途中の道沿いには、巨石の「神籠石(じんごいし)」が、この巨石は、神武東征のとき、天皇がこの地にいた八十建(やそたける)を討つ時、この石に隠れ石垣めぐらし、矢を持ち盾とした大石という伝説があり、地元では「ちご石」と呼ばれ、上には火の見やぐらがありました。
その「神籠石」からすぐの、ここ忍坂から宇陀を結ぶ「忍坂街道」に出て、忍坂地区集落の小高い所にある眺望が良い無住寺の「石位寺」へ、本堂の裏には小さな収蔵庫があり、日本最古といわれる「伝薬師三尊石像」が安置されているお寺で、トイレ等で暫しの休憩を取りました。
「石位寺」の30数段の急な階段を下り、「忍坂街道」を暫く東へ進み、空は天気予報に反して、すっかり晴れて青空が広がり、強い風が吹く中、国道166号から約1.5㎞を長閑な田園風景が広がる倉橋地区に進み、樹木に覆われた「天王山古墳」裾野から、やがて深い緑の山々に囲まれ、満々と溜まる、干ばつ対策として造成された農業用溜池で、県内の溜池として最大の灌漑面積を有する「倉橋溜池」の「ふれあい公園」に11時50分頃到着、青空が広がり強い日差しと風が吹く中で、広場の木陰や芝生広場で、昼食休憩を摂りました。
午後は12時30分「ふれあい公園」をスタート、「倉橋溜池」を後にして、しばらく談山神社に通じる県道37号を進み、第32代「崇峻(すしゅん)天皇」が営んだとされる「倉梯柴垣宮(くらはししばがきのみや)伝承地」の直ぐそばの「崇峻天皇陵(倉梯岡陵)」へ参拝の後、歩みは寺川沿いを西へ、すでに田植えが終わった長閑な田園地帯を進み、山裾の高台に位置する「聖林寺」を左に見て、西方面へ下・高田・生田地区等々の集落を通過しながら約3㎞をひたすら歩みを進め、池之内集落東方の小高い森の上に鎮座する「稚櫻(わかざくら)神社」へ、ここが、「磐余稚桜宮伝承地」で、第17代履中(りちゅう)天皇は、磐余池で船遊びをしていると、杯に季節はずれの桜の花びらが舞い落ちたことから、宮の名を「磐余稚桜宮」とつけられ、それがこの神社の名の由来となったとのことです。
神社を後にして、池之内地区から東へ阿部地区に入り、日本三文珠の一つ「阿部文珠院」へ進み、最後のトイレ休憩を済ませ、約1.5㎞進んでJP・近鉄・桜井駅に14時30分頃ゴールしました。
心配された正午頃から雨が降るとの天気予報で、少数の参加者となりましたが、幸いにも予報が外れ晴れ間が広がり、時折、強く吹く風に暑さを凌ぎながらのウオークとなりました、有り難う御座いました。