今回は、河合町に鎮座する「廣瀬神社」へ、この神社で毎年2月11日に行われる奇祭「砂かけ祭り(御田植祭)」の見学をしました。
今季一番の寒さと不安定な曇り空模様の中156名の参加者を迎え、9時50分寒さを物ともせず、元気に大和小泉駅前からスタートしました。
JR関西本線沿いを南へ進み安堵町に入り住宅街から、聖徳太子が「斑鳩宮」から「飛鳥の宮」へ行き来されたと伝えられる古道「太子道(別名:筋違道・すじかいみち)」に入り、その道沿いにある「善照寺」へ、境内には樹齢約300年の珍しい黒松が植えられていて「富生(ふしょう)の松」と呼ばれ、盆栽の松を大きくしたようなこの松は、根が地上に盛り上がるように作られたのが特徴で「根上りの松」と呼ばれています。

見事な黒松を観賞し「善照寺」を後にして、鳥居前に「太子の井戸」・「在原の業平姿見の井戸」とも呼ばれている井戸がある「広峰神社」を訪れた後、「太子道」を更に南へ進み、聖徳太子創建の「泡波(あくなみ)神社」へ、毎年10月の第4土曜日に奉納されている「安堵なもで踊り」は雨乞いの踊りとして知られていて、念願かなって願いが達成された時に踊ったとされています。
又、境内には聖徳太子と愛馬の黒駒が休憩したと伝えられる腰掛石があり、聖徳太子の人形が座っていました。
神社から住宅街の狭い道を進んで、直ぐ近くの「極楽寺」に入り列詰め休憩を取りました。
この「極楽寺」は587年に聖徳太子が建立したと伝えられていて、安産祈願や水子供養をはじめ、子供と縁が深いお寺で、本尊は平安時代の作品で、像高139cmの阿弥陀如来坐像が祀られ、1922年に重要文化財に指定されています。
又、この寺には「広島大仏」が安置されている事で知られ、終戦直後、広島市で原爆犠牲者を弔うためにドーム近くに祀られ、その後、約50年間にわたって行方不明だった阿弥陀如来座像で、座高約4mで全身に金箔が施されている「広島大仏」が祀られていますが、今日は残念ながら、大仏の前に御簾が掛けられ、ご尊顔を拝することは出来ませんでした。
境内には、ちらほら咲く紅白の梅をも観賞しながら「極楽寺」を後にして、「太子道」を南へ歩みを進め、西名阪国道高架下をくぐり、かしの木台団地沿いから安堵中学校を経て、田圃の中に聖徳太子をモチーフとした高さ12mの巨大な案山子が法隆寺方向(北西)に向いて立っているのを仰ぎ見ながら「安堵中央公園」に11時過ぎ到着、少し早いですが昼食休憩を摂りました。

午後は11時45分スタート、窪田地区の田園風景が広がる「太子道」を南へ進み、大和川に架かる「馬場尻橋」を渡り安堵町を後にして、更に視界が大きく開けた、のどかな田園風景が広がる川西町吐(はん)地区に入り、大和川堤防南側の小さな森の中に鎮座する「杵築(きづき)神社」を経て、「太子道」沿いの田圃の一角に建つ小さな堂の中に祀られている「油掛地蔵」へ、1523年に造立され、舟形光背を持つ像高152pの立像で泥田にうずもれていたのを引き上げ祀られたもので、クサ(できもの)が出来ている子の母親がお地蔵さんにお祈りして油を掛けると、クサが治ったとの伝承があり、地蔵の表面は厚い油の層で包まれていて黒光りしていました。
地蔵堂を後にして、田園地帯の真っすぐ長く続く田圃の畦道のような「太子道」を南へ歩みを進め、寺川に架かる県道36号の「梅戸橋」で「太子道」と別れ、暫く県道を西に進み、唐院地区に入り、全長約190mの前方後円墳で濠に浮かぶ「島の山古墳」から西側に鎮座する「比売久波(ひめくわ)神社」に参拝と若干の列詰休憩の後、唐院地区の家並みの中を西に進み「唐院運動公園」でトイレ休憩を取りました。
この辺りから、雲行きが怪しくなり肌に感じる程度の小雨が降り出し若干の傘の花が続き、飛鳥川沿いの自転車道から保田地区内を経て曽我川を越えて、河合町に入り県道36号を北へ進んで間もなく、大きな朱色の鳥居が建つ「廣瀬神社」に13時30分頃先頭が、十数分遅れでアンカーが到着、「砂かけ祭り」を自由に見学していただくために鳥居下でゴール、完歩証明の「IVV」をお渡しました。
この「廣瀬神社」の鎮座地は、高田川と一緒になった曽我川・大和川・飛鳥川など奈良盆地内を流れる河川のほとんど合流する地にあり、この事から水神を祀る神社で、主祭神は「若宇加能売命(わかうかのめのみこと)」で、水田、五穀豊穣の神として信仰されています。
既に小雨も止み、鬱蒼とした木々の長い参道を進み、一面に砂が敷かれている境内に入り、拝殿では、奉納和太鼓の勇壮な太鼓の音が境内に響き渡っていました。
いよいよ14時、拝殿前の境内広場で「砂かけ」行事の「庭上(ていじょう)の儀」が始まり、広場には青竹が四本立ち、注連縄を張って田圃に見立てていて、太鼓の合図で地元消防団員が扮する田人(たびと)が現れ、手にした農具の鋤(すき)で苗代作りの所作等を行った後、急に田人が周囲の参拝者に雨粒に見立てた砂をかけ始め、逃げ回る者や、負けじと足元の砂をかけ返す者で騒然となり、周辺にはすさまじい砂が舞い、頭から全身砂だらけになる参拝者も、その行事は5分程度で太鼓の合図で終わり、その後、数回この行事が行われ、この砂かけが激しいほど雨に恵まれ、秋に豊かな実りが訪れると言われています。
14時30分一部の行事を見物し終え、JR・法隆寺へ帰る参加者はスタッフと共に神社を後にし、太鼓橋を渡り、水路沿いを北へ大和川を越え富雄川左岸の堤防道路から住宅内を抜け、JR・法隆寺駅に15時頃無事到着しました。
今日は、一時、小雨が降る寒い一日でしたが、中心となる「砂かけ祭り」以外にも「太子道」沿いの史跡等巡りも楽しんでいただけたと思います、ありがとう御座いました。